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【SS続報】2船態勢で、日本船を攻撃へ 南極海の緊張高まる

2010/02/09 01:00

 

 すでに、報道で見聞きしている方も多いかも知れません。

 

 南極海の緊張が高まっています。捕鯨母船・日新丸が新抗議船ボブ・バーカー号に発見され、8日朝、その位置の報告を受けたスティーブ・アーウィン号が、攻防ポイントに合流しました。

 

 新抗議船ボブ・バーカー号の存在は、日本船団にとって、大きな脅威です。

 

 ポール・ワトソン船長は以前から、2船態勢で臨みたいということを標榜し、今シーズンでその野望がついに実現したのです。

 

 ボブ・バーカー号には、スティーブ・アーウィン号による捕鯨船追跡で経験を積んだ主力組とボランティアの30人の船員が乗船しています。

 

 母船の日新丸と捕鯨船がどのような隊列を組んで、捕鯨行為をしているかを知っているのです。

 

 レーダーで発見する大きな手がかりとなるでしょう。

 

 攻撃のやり方は一緒です。体当たり、酪酸弾の投てき、海中のロープの投げ入れ・・・・ ドクロマークと黒色の船体がトレードマークの新抗議船は、ワトソン船長の戦術をそのまま実行に移しています。

 

第3勇新丸にアタックするボブ・バーカー号=(財)日本鯨類研究所提供

 

『(動画)第2昭南丸に酪酸弾を投てきするボブ・バーカー号』

http://www.icrwhale.org/eng/100206SS2.wmv

 

 

 ボブ・バーカー号は、弱点があります。それは給油です。

 

 スティーブ・アーウィン号にように、ピットストップのために、オーストラリアやニュージーランドの近場の港に帰ったという情報はありません。

 

 そろそろ、燃料が切れるころのはずです。

 

オランダ国旗を翻すスティーブ・アーウィン号=(財)日本鯨類研究所提供

 

『(動画)日新丸に異常接近するスティーブ・アーウィン号』

http://www.icrwhale.org/eng/100208SS.wmv

 

 アニマルプラネットで放送しているドキュメンタリー番組「Whale Wars」シリーズ3のために、今後、2船態勢で臨む攻撃の撮影に入るものと思われます。

 

 シーシェパードの船員は「私たちは平和を願っています。人間を含めた、すべての命を守るために海に来ています」と言います。

 

 日本船団の船員たちは今頃、目をこらしてシーシェパードの動きを監視しているはずです。大惨事にならないよう祈るばかりです。 

 

 それにしても、日本側にはこの状況を打開できる根本的な対策はないのでしょうか?

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盗まれたアウシュビッツのシンボル ネオナチが関与か

2010/02/08 12:00

 

 

 学生時代、アカデミー賞映画のシンドラーズ・リストを見て、その舞台となったポーランドのクラコフを訪れたことがあります。

 

 以前、ブログでもお知らせしました。引用します。

 

『彷徨えるナチスの亡霊 極右政治家の死で試される欧州』

http://sasakima.iza.ne.jp/blog/entry/974919/

 

@@@@@@@@@

 

 

 博物館に入り、最初の陳列物が、黒い繊維状の束であり、何だろうといって近づいてみると、それが人間の髪の毛だったこと。

 左が髪の毛 右が今に残る人間の髪の毛の布地です

 

 ナチスは、ユダヤ人をガス室に送る前に、再利用できるものはすべて没収しました。

 

 持ち物や衣服、靴はもちろんのこと、メガネや義足、そして金歯も取りました。

 

 ナチスは女性の髪の毛もすべて剃り、ガス室に送りました。髪を使って、布地を作っていたようです。

 

 子どもであろうと、容赦ありませんでした。

 

 

 私は最初の部屋から圧倒され、最後まであまりの残酷ぶりに涙が何度もあふれ出しました。

 

 ユダヤ人の高校生が、団体で旅行に来ていました。もしかしたら、修学旅行のようなものだったかもしれません。女の子達は、こうした陳列物を見るたびに、声を押し殺しながらも、抱き合って泣いていました。

 

 このときは、冷夏であり、寒い雨がふっていました。博物館の近くにビルケナウという強制収容所の跡地がありました。貨物列車で送られてきたユダヤ人はそのまま、粗末な収容所に入れられるのですが、その終着駅となる鉄道レールがまだ残っていました。

 

 

 

 この傍に、池があり、そこにある看板が残され、こんな説明がありました。

 

 「ナチスは、終戦時に、全てを破壊して逃げていきました。この場所には多くの遺体が埋まっており、いまでも人間の遺灰の一部が出てくるのです」

写真は全て「Voices From The Ground」より

 

 あまりの酷さにここでも、多くの人が立ち止まり、ハンカチで顔をおさえ、嗚咽していました。

 

@@@@@@@@

 

 このアウシュビッツ博物館の入口に展示されているユダヤ人ホロコーストのシンボルが昨年12月に盗まれました。

 

 報道で見聞きした方も多いと思いますが、犯人はすぐに見つかりました。5人のポーランド人であり、当初は、動機が「金銭目的」とされていました。

 

 しかし、その後の調べである人物の関与が浮かび上がってきたのです。

 

 この事件の経緯について、先日、MSN産経で記しますので、ここでも転載します。

 

 

 昨年12月、ユダヤ人のホロコースト(大量虐殺)の象徴が盗まれた。ポーランドアウシュビッツ強制収容所跡地にある「ARBEIT MACHT FREI」(アルバイト・マハト・フライ)の金属製看板。奪い取った犯行グループはすぐに捕まったが、看板は3つに分断されていた。後に、首謀者はスウェーデン人で過去にネオナチ組織に関与していたことが判明。事件はイスラエルや全世界のユダヤ人団体の激しい怒りを呼び起こした。

 

 アウシュビッツ強制収容所はナチス・ドイツがユダヤ人を大量虐殺するため、1940年、当時、占領下にあったポーランド南部クラコフ近郊に建設。ユダヤ人は貨物列車で送られ、過酷な収容所暮らしの上、毒ガス室で殺害された。虐殺された人数は120万人から150万人にも上る。解放後、跡地はホロコーストの悲劇を今に伝える国立博物館となっている。

 

 「ARBEIT MACHT FREI」の看板は、ナチスの指示を受けて収容者自身が製作した。ドイツ語で「働けば自由になる」の意味。「B」が裏返しで逆さまになっているのは、ナチスへ抵抗するためのユダヤ人収容者のささやかな意思表示だった。

 

 事件は昨年12月18日に発生した。看板は長さ5メートル、重さ40キロほどあり、雪が降り注ぐこの日、監視態勢のすきをぬって、午前3時30分から5時までの時間帯に盗まれた。現場にはスパナが残されていた。

 

 博物館がすぐに地元警察に通報。事件が明るみになり、ポーランド国内だけでなく、イスラエルや世界中のユダヤ人団体から非難の声があがった。

 

 イスラエルのエルサレムにあるホロコースト博物館のヤド・バシェム館長は「われわれへの宣戦布告に等しい」と発言。沈痛な面持ちで「窃盗犯が誰か知らないが、ネオナチのメンバーだと思っている」と話した。

 

 イスラエルのシモン・ペレス大統領は「イスラエル国民と世界中のユダヤ人社会に深い衝撃を与えた」との声明を出し、ポーランドに対して、看板を取り戻すべく最大限の努力をするよう要請した。

 

 ポーランドレフ・カチンスキ大統領はこの看板が「ヒトラーの蛮行と犠牲者の追悼を示す世界的なシンボルだった」とした上で、全国民に看板回収への協力を呼びかけた。

 

 こうした訴えが功を奏し、実行犯はすぐに捕まった。同月21日、ポーランド警察は同国北部で20-39歳のポーランド人5人を逮捕し、森林の中で3つに分割された看板を回収したと発表した。看板は「自由」を意味する「FREI」の「I」が欠落していた。

 

 当初、逮捕された5人は窃盗の常習犯であり、「ネオナチとは関係はない」とされた。しかし、うち2人がスウェーデン行きのフェリーが出ている同国北部のグディニアにいたことから、さらに詳しく捜査。5人はスウェーデン人の首謀者に指示され、盗みを働いていたことがわかった。

 

 ポーランド警察はすぐに、国際刑事警察機構ICPO)を通じて、スウェーデン捜査当局に協力を要請。2月上旬、窃盗容疑で34歳のスウェーデン人の男に対する逮捕状を取った。

 

 スウェーデン人の男は過去にネオナチグループに関与していたことがあり、看板を転売しようと画策していたという。今後、EU欧州連合)の協定に基づき、スウェーデンから身柄が引き渡され、ポーランド警察は動機や売却先などについて詳しく調べる。

 

 ユダヤ人を冒涜(ぼうとく)するネオナチグループとの深い関連が判明すれば、今後、ネオナチに対する取締強化への議論が巻き起こる可能性がある。

 

 一方、3分割された看板は博物館に戻り、修復された。1月27日に行われたアウシュビッツ解放65周年の記念式典にあわせて、再び掲げられることも考えられたが、安全対策上の問題や看板の耐久性を考慮して、見送られた。博物館の入り口には今も、レプリカが掲げられている。

 今後、金属製看板は館内で展示され、入り口にはこのままレプリカが掲げられる案も話し合われている。

@@@@@@@@@

 

 スウェーデン人の取り調べは進んでいるようです。報道からは、ネオナチの関与の可能性が事実なのかどうか、捜査当局が慎重に取り扱っているのがわかります。

 

 今後、同様の犯行が起こる恐れもありますから、やはり、博物館にはこのまま、レプリカの展示が継続されるかもしれません。

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【SS続報】船籍偽装再び ノルウェー国旗を掲げて日本船を攻撃したボブ・バーカー号 ニュース記事に関連したブログ

2010/02/07 00:00

 

 シー・シェパードは、国旗の無断使用に遺憾の意を示したノルウェー政府の警告を完全に無視し、再び、船籍偽装を行って、日本船を攻撃しました。

 

 6日、南極海で、トーゴ船籍の新抗議船ボブ・バーカー号が、日本船団に急接近し、衝突や酪酸弾の投てきを行いました。

 

(財)日本鯨類研究所提供

 

 ノルウェー国旗が翻っているのがはっきりわかります。公海上での航行規則を定めた国連海洋法条約違反になります。

 

 船籍偽装は、無国籍船と取り扱うことができ、臨検や拿捕の対象になります。

 

 ボブ・バーカー号はトーゴ船籍であり、日本政府はトーゴに対して、外交ルートを通じて、船籍の剥奪を含めて適切な処置をとるよう要請しています。

 

 ノルウェーには、船籍偽装を取り締まることができる国内法が整備されています。一度ならず、二度までも、勝手に国旗を使ったことで、今後、なんらかの法的措置をとる可能性もでてきました。

 

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関連ニュース

【マイケル急死事件】専属医「捜査当局に出頭する用意がある」 過失致死で訴追へ

2010/02/03 12:50

 

 今から25年前に大ヒットした「We Are The World」が、ハイチ大地震のチャリティーのために再び、売り出されるようです。

 

 20代の若きマイケル・ジャクソンが、スターたちに囲まれ、美声を披露していたのを思い出します。

 

 きっと、存命であれば、ハイチにささげるWe Are The Worldの収録にも、きっと、本人は参加していたのではないでしょうか?

 

 昨年6月、世界中のファンを悲しまたマイケル・ジャクソンの死をめぐり、ロサンゼルス捜査当局が、専属医コンラッド・マーレー医師の麻酔薬投与が過失致死罪にあたるかどうかを捜査していましたが、どうやら2月上旬にも、結論が出るようです。

 

 米CNNによれば、3日にも、過失致死容疑で訴追する可能性があるとのこと。

 

 マーレー医師の顧問弁護士が2日、「今週中にも、捜査当局に出頭し、取調べに応じる用意がある」と答えました。 

 

 マーレー医師は事件後、ロサンゼルスから地元のヒューストンに戻り、診療を再開しています。高額の弁護費用を捻出するためです。

 

 ところこが、先週からロサンゼルス入りしており、訴追のために備えていたようです。

 

 弁護チームには、優秀な弁護士が勢ぞろいしているしていますから、裁判への準備が整い、検察側との争いで、法的にシロクロつけるという戦術に転化したのでしょう。

 

 CNNによれば、いまのところ、いつどのようにして出頭するかは明らかになっていないそうです。

 

 マーレー医師がマイケルさんにどのように薬を投与したのか、以前、MSN産経ニュースの【海外事件簿】でまとめましたので、再アップしておきます。参考にしてみてください。

 

 

 

 

マイケル・ジャクソンに「ミルク」を与えた医師、立件へ』

http://sasakima.iza.ne.jp/blog/entry/1407228/

 

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【国後島沖漁船銃撃】銃撃映像公開@ロシア国境警備隊 露ニュースSOSで「日本側が警備隊員を騙した」 ニュース記事に関連したブログ

2010/01/31 13:00

 

 オホーツク海で、操業している漁業関係者は知らせを聞いて、悪夢がよぎったことでしょう。

 

 1月29日午後、北方領土・国後島沖で「安全操業」(★ロシア側に協力金を支払い、四島海域で行う漁)を行っていた羅臼漁協所属の刺し網漁船、第58孝丸(19トン)、第63清美丸(19トン)の2隻が、ロシア国境警備隊のヘリコプターから銃撃を受けました。

 

 ロシア側は「2隻は、ロシアの領海に入った。警備隊は漁船に対して、停船を求めたが従わなかった。捕捉のためヘリコプターが発信し、空中から警告射撃、その後、船体に向けて射撃が行われた」と発表しました。

 

 羅臼漁協は「船の位置を衛星で把握するシステムで、指定区域からの逸脱はなかった」としています。

 

 外務省欧州局長もベールイ駐日ロシア大使に電話し、「極めて不適切」と厳重に抗議しています。

 

 悪夢とは、2006年8月、北方領土海域で、カニかご漁船「第31吉進丸」が銃撃を受け、乗組員1人が死亡した事件のことです。

 

 ロシア側は結局、銃撃の詳細な説明をさけました。

 

 ロシア国境警備隊サハリン警備局は、その時の映像を公開しました。

 

 ロシア独立テレビのHPから、見ることができます。生々しい映像です。

 

http://www.ntv.ru/novosti/185055/

 

 この映像には、隊員の「ダバイ!ダバイ!」というかけ声も収録されています。

 

 正確に、日本語に訳すのは非常に難しいのですが、「行け!」とか「撃て!」の意味が適切でしょうか?

 

 ロシア側はこのように説明しています。

 

 「漁船から、国境警備隊に対して、銃撃で船に穴が開いたとして、救助要請が行われた。臨検のため、停船を求め、小型艇が出港したが、漁船はそれを待つ代わりに、ロシアの水域外に出た」

 

 独立テレビのニュースは若干、ニュアンスの違う報道をしています。

 

 Предупредительной стрельбы отчаянные японские рыболовы не испугались и легли в дрейф только после того, как огонь был открыт на поражение. В дальнейшем японцы обманули пограничников — они подали согнал SOS, но сразу после этого скрылись.

 

 (発見されて)八方ふさがりとなった日本漁船は、警告射撃にも動じなかった。銃撃が行われた後、(航行不能となり)浮遊した状態になった。日本漁師は、国境警備隊員をだましたのである。SOS信号を出したものの、すぐに姿をくらました。

 

 2隻の船は、船体から計20カ所の銃撃痕が見つかっています。

 

 海上保安署の調査に、乗組員は「迷惑を掛けてしまうので、銃撃を受けたことは言えなかった」と話しています。

 

 昨年来、北方領土問題をめぐって、日露関係がぎくしゃくしている中での発生だけに、今後の成り行きが懸念されます。

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関連ニュース

【SS続報】スティーブ・アーウィン号がフリーマントル港を出港

2010/01/30 15:00

 

 燃料補給のため、28日早朝にオーストラリア西部フリーマントル港へ帰港していたシー・シェパードのスティーブ・アーウィン号が、48時間の〝ピットストップ〟を終え、30日朝、港を出たようです。

 

 埠頭にあるウェブカメラには、スティーブ・アーウィン号が見あたりません

 

 

From fremantleports.com =2010.01.30 01:00PM

 

 2日前に、船体の姿が確かに撮されていました。 

 

From fremantleports.com =2010.01.28 01:00PM

 

 さらに、フリーマントル港へ帰港したときの歓待の様子を撮した写真が見つかりましたので、紹介します。

 

『岸壁についたスティーブ・アーウィン号』

写真① 

 

『アディ・ギル号に乗船していたオランダ人SSクルー、ローレンス・デグロート』

写真②

 

『歓迎の様子』

写真③

 

『報道陣に囲まれるポール・ワトソン船長』

写真④

 

『インタビューを受けるポール・ワトソン船長とピート・ビーツゥン・アディ号船長』

写真⑤

 

『インタビューを受けるアディ号のピート・ビートゥン船長。一躍、有名人になった』

写真⑥

写真⑦

 そして、Youtubeには、このときの様子を知らせるニュース映像が掲載されています。

http://www.youtube.com/watch?v=hSJgiqp-oag

 

 スティーブ・アーウィン号は、南極海に向かい、再び、日本の捕鯨船の捜索をおこなうものとみられます。

 

 

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【SS続報】ニュージーランド海保当局が事情聴取 沈没アディ・ギル号のクルー「殺されかけた」

2010/01/29 10:00

 

 1月28日午前7時30分、予告通り、シー・シェパードのスティーブ・アーウィン号が母港である、豪西部フリーマントルへ帰ってきました。

 

『ヘリコプター故障で帰港』

http://sasakima.iza.ne.jp/blog/entry/1434074/

 

 港では、大勢のサポーターに出迎えられました。岸壁に、シー・シェパードの黒いTシャツを着た子供達の歓声が響き渡りました。

 

『到着時のニュース映像』

http://www.watoday.com.au/environment/whale-watch/nz-officials-to-interview-survivors-of-sunken-ship-20100128-n0p2.html?autostart=1

 

 フリーマントル港には、ウェブカメラがついています。この映像に、ドクロのマークがある黒い船体がしっかりと映っています。

 

From fremantleports.com =2010.01.28 01:00PM

 

 STEVE IRWINの文字もはっきりと見えますね。

 

フリーマントル港の埠頭にあるウェブカメラのサイト』

http://www.fremantleports.com.au/Shipping/Weather/Webcam11.asp

 

 オーストラリア国営放送の地元局のニュースでは、ポール・ワトソン船長と、アディ・ギル号のピート・ビートゥン船長の2ショットの写真が掲載されています。

 

http://www.abc.net.au/reslib/201001/r504634_2687742.jpg

 

 フリーマントルで、スティーブ号を待っていたのは、シー・シェパードのサポーターだけではありませんでした。

 

 ニュージーランド海保当局の保安官がスティーブ号の帰港を待ちかまえていたのです。

 

 1月6日に南極海で発生した第2昭南丸とアディ・ギル号の衝突。アディ号はニュージーランド船籍です。世界中に報道されたこの出来事の直後、ニュージーランド当局が、この衝突の原因を捜査することを表明していました。

 

 航行不能になったアディ号の乗組員6人は、衝突現場近くにいたボブ・バーカー号に乗り移りましたが、その後、海洋でスティーブ号に再び、乗り換えていました。

 

 SS側は6人のうち1人は骨折した、と訴えています。

 

 スティーブ号に乗船した6人全員の事情聴取のために、ニュージーランド海保当局の保安官がフリーマントル入りしていたのです。

 

 衝突の際の詳しい状況について、保安官は彼らに事情聴取したようです。

 

 アディ号のピート・ビートゥン船長は地元メディアのインタビューにこのように応じています。

 

It's not an accident - it's a deliberate act that they came in and hit us."

 

 「あれは事故じゃない。われわれの船に体当たりするためにやってきた故意的な行動だ」

 

 同じく、アディ号に乗船していたローレンス・デゴートもこのように答えています。

 

"They're trying to get an objective view on the whole incident and they will come to their conclusions, but it's pretty obvious to me who did this," he added.

 

 「ニュージーランド海保の保安官は、この衝突についての客観的な視点を得ようとしている。彼らは結論を出すだろう。でも、誰がこの衝突をしでかしたかは僕にとっては、明白だけどね」

 

 ポール・ワトソン船長は、その後、オーストラリアの捜査当局も彼らに順次、話を聞くだろう、と述べています。

 

 ワトソン船長は港でメディアのインタビューに応じ、「あの衝突は、故意によるもので、殺人未遂にあたる」と答えました。

 

 そして、「日本側は従来よりも、より攻撃的で、より暴力的になっている」とも主張し、日本船には、政府治安機関の関係者が乗っていると、一方的にまくしたてました。

 

 その言葉が、オーストラリア通信(AAP)の記事で報じられています。

 

http://news.smh.com.au/breaking-news-national/nz-authorities-meet-ady-gil-survivors-20100128-n08v.html

 

 この記事を見た一部の読者は、日本船に本当に、治安機関の関係者が乗っていると信じるかも知れません。

 

 スティーブ・アーウィン号は今回のキャンペーンでは、一度も日本の捕鯨船の前に姿を現していません。彼らは、捕鯨妨害を実施できていないのです。

 

 そうした苛立ちが、インタビューににじみ出ているような気がします。

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【SS続報】スティーブ・アーウィン号のヘリコプター故障 28日、豪西部フリーマントル港へ帰港 ニュース記事に関連したブログ

2010/01/28 11:00

 

 1月15日に、ボブ・バーカー号が第2昭南丸に対して、攻撃を行った後、なりを潜めていたシー・シェパードの動きが、オーストラリア通信(AAP)の報道によって、明らかになりました。

 

http://news.smh.com.au/breaking-news-world/sea-shepherd-heading-to-freo-for-repairs-20100127-mwus.html

 

 昨年12月31日に、タスマニア島のホバート港で一回目の補給を終えて、南極海に出たSSの母船、スティーブ・アーウィン号(オランダ船籍)が、オーストラリア西部のフリーマントル港へと戻ることが明らかになったのです。

 

 1月28日午前7時30分、スティーブ・アーウィン号は、フリーマントルのドックに入りました。

 

 フリーマントルは、シー・シェパードにとって母港とも言える街です。市長が、ポール・ワトソン船長への熱烈な支持を表明しています。

 

『参考記事』

http://sasakima.iza.ne.jp/blog/entry/910528

 

 タグリアフェリ市長はこう言って、シー・シェパードの船を受け入れる理由を示している。

 

 「広範囲に及ぶクジラの大虐殺は、調査目的であろうと、商業捕鯨であろうと時代遅れの考えだ。私たちの世代で、この南極海での捕鯨に終焉を迎えなくてはならない。クジラたちは日本人のものではなく、彼らはクジラを殺す何の法的権限も持たない。誰かが、日本人の傲慢さに反旗を翻して、立ち上がらなければならない。そして、私たちにはその意思があるということだ」

 

フリーマントル市長とポールワトソンの2ショット』

http://www2.freofocus.com/news/resource/seashepherd1.jpg

 

 市長の熱意にひっぱられ、フリーマントル市では、小学生がシー・シェパードのために募金を集めたこともある。昨年11月の資金集めパーティーではわざわざ市長がワトソン船長と一緒に映っている写真をあげ、パーティーの出席を市の広報で呼びかけている。

 

  日本の南極地域観測船「しらせ」が補給のために立ち寄るオーストラリア西岸の港、フリーマントルでは、現在のタグリアフェリ市長が熱烈な支持者だ。そのため、今、フリーマントル港はシー・シェパードの船の母港になっている。

 

 オーストラリア通信によれば、スティーブ・アーウィン号は燃料補給と、装備品などの補強のために帰港するとのこと。

 

 また、ヘリコプターの緊急修理も、オーストラリアに舞い戻る1つの理由と記されています。

 

 実は、昨年12月31日に、出港した後、スティーブ・アーウィン号は南極海のどのあたりを航行しているか、行方が杳として知れませんでした。

 

 日本船の前に現れることもなく、完全に姿を消していたのです。

 

 ですが、「ヘリコプターの緊急修理」が必要ということが明らかになり、何らかのトラブルがあったために、南極海で立ち往生していたのかもしれません。

 

 シー・シェパードにとって、ヘリコプターは日本船を発見するための捜索活動と、妨害の様子を空から撮影するためのドキュメンタリー番組「Whale Wars」製作のために、欠かすことの出来ない存在なのです。

 

 昨年2月、SSの高速ゴムボートが進路妨害を行う様子を、ヘリコプターが捕鯨船のそばを飛び、撮影している。=(財)日本鯨類研究所提供

 

 さらに、スティーブ・アーウィン号には、1月6日の衝突で、大破・沈没したアディ・ギル号の乗組員も乗っているようです。

 

 

 彼らは、航行不能になった後、近くにいた新抗議船ボブ・ボーカー号(トーゴ船籍)に収容されていましたから、海上でボブ号とスティーブ号があって、今度はスティーブ号へと乗り移ったわけです。

 

 スティーブ・アーウィン号はもちろん、この帰港で今回の反捕鯨キャンペーンをやめるわけではありません。

 

 2回目の補給を終えて、48時間の滞在の後、再び、南極海へと繰り出す構えを見せています。

 

 アディ・ギル号のピート・ビートン船長以下2人は、今度はスティーブ・アーウィン号のクルーとなって、出港するようです。

 

 かつてのキャンペーンでは、燃料補給は1回でした。

 

 今回は、いわゆる、〝ピットストップ〟が1回から2回になったわけです。

 

 燃料補給には、かなりの費用がかかります。

 

 これは、スティーブ号が、放水砲などさまざまな装備補強を行って船体総量が重くなり、燃費が悪くなったために、補給が短いテンポで必要になったことを示しているとも言えるでしょう。

 

 また、募金や寄付の増額で、SSの活動資金が増えたために、2回の燃料補給でも予算がまかなえるようになったとも指摘できます。

 

 さて、ノルウェー船籍の偽装をしていたもう一隻の抗議船ボブ・バーカー号は、どうなったのか?

 

 

 私は詳しくはわからないのですが、関係者によると、オーストラリアの港に入るのは、さまざまな規則により、困難らしく、燃料補給はフリーマントルではできないようです。

 

 SSによれば、東アフリカのモーリシャスを出港しているようですから、もしかしたら、そちらの方に戻っているかもしれません。

 

 いずれ、フリーマントルのメディアが、スティーブ号帰港の折、ワトソン船長にインタビューをするはずです。

 

 SSの情報が入りましたら、また、皆様にお知らせします。

 

★写真は(財)日本鯨類研究所提供

 

 

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関連ニュース

【SS続報】過激さ増すシー・シェパード 距離を置き始めた反捕鯨国

2010/01/25 21:00

 

 週末から25日にかけて、MSN産経ニュースに、シー・シェパード関連の記事が掲載されました。

 

 拙ブログでもそのまま転載しようと思います。

 

@@@@@

 

 日本の調査捕鯨船団に対する反捕鯨団体シー・シェパード(SS)の攻撃姿勢は1月6日に起こった抗議船アディ・ギル号と第2昭南丸の衝突の後も一向に収まる気配がない。

 

 今月15日にも、今回の反捕鯨キャンペーンで新たに導入されたトーゴ船籍の抗議船ボブ・バーカー号から、昭南丸に対する攻撃があった。ボブ号から降ろされた高速ゴムボートが昭南丸に近づき、航行不能にさせようと、発煙筒を投てきするなど危険な行為を2時間にかけて行ったのである。

 

 この攻撃にはある理由があった。15日付けのSSの声明にこう記されていた。

 「第2昭南丸船長に逮捕状を執行しようと試みた」

 

【昭南丸船長に逮捕状?】

 

 逮捕状とはそもそも何なのか? SSは同じく15日に、ニュージーランドの司法当局に対し、刑事告訴状を提出している。1月6日の出来事は日本側が故意に体当たりして、SSの乗組員を殺害しようとした殺人未遂事件にあたるというのだ。

 

ボブ号から降ろされた高速ゴムボート=(財)日本鯨類研究所提供

 

 ニュージーランドでは重罪事件の被疑者は常人逮捕する権利が認められており、SSは昭南丸を止め、その〝主犯〟である船長を捕まえようとしたのである。

 

 もちろん、現段階で、ニュージーランドの司法当局が衝突事故を殺人未遂事件と断定したのでもないし、本格的な捜査を始めたわけでもないのは明白だ。にもかかわらず、SSは「(昭南丸の船長に)裁きを受けさせる」ためだったと主張し、自らの行為を正当化している。双方共に負傷者がいなかったことが幸いしたが、一歩間違えば、大惨事になる恐れもあった。

 

【反捕鯨国の後押し】

 

 SSがこうした攻撃が継続できるのも、抗議船の本拠地としているオーストラリアやニュージーランドの反捕鯨への世論の後押しがあることは否めない。

 

 16日付けの豪紙エイジ(電子版)によれば、1000人の豪州国民を対象にした世論調査の結果、94%が日本の調査捕鯨に反対と回答。1月6日の出来事についても、アディ号に責任があるのと答えたのは25%に止まったのに対し、日本側に責任があると答えた人は56%にも上ったことも紹介した。

 

 また、9日付けのニュージーランド紙ドミニオン・ポスト(電子版)は、衝突事故後、SSの活動家がウェリントンの日本大使館前で抗議活動を行い、1日に1250もの署名が集まったことを伝えた。

 「日本政府が鯨に対して行っていることについて、我々が不快感を抱いていることを示す手段として、日本製品の購入をボイコットする必要がある」

 同紙はSSの活動家の主張を記事の見出しにもした。

 

【SSに距離を取り始めた】

 

 しかし、反捕鯨の態度を示しながらも、過激度を増すSSの行動については、憂慮を示す声も少なくない。

 

 8日付けの豪紙オーストラリアン(電子版)は、「記者も政治家も(SSの)活動家らを奨励してはいけない」と主張する記事を掲載。日本側の主張を取り入れながら、SSの活動を批判しており、「彼らの振るまいは傲慢であり、理不尽だ」と伝えている。

 

オーストラリアンの紙面

 

 さらに、「(SSの)活動家たちは日本の捕鯨船が航行するのを邪魔する権利を一切持ち合わせていない」とも記している。

 

 また、20日付けのドミニオン・ポスト紙は「日本の捕鯨への騒動は、相互理解を反故にする」との記事を掲載。日本の調査捕鯨は違法ではないなど、日本の立場を明確に示しつつ、「ニュージーランド人も、増えすぎている鯨の種類の捕獲に抗議する一方で、バンビ(子鹿)や子羊を食べている」と指摘している。

 

 一昨年、昨年の反捕鯨キャンペーン時に比べると、両国でのSSに対する風当たりは強まっている。過激な攻撃を続ければ続けるほど、両国から三行半(みくだりはん)を突き付けられる可能性が高まることを彼らは気付いているだろうか。

 

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 また、上記にも記されているオーストラリアン、オブザーバー(英国)、ウォールストリート・ジャーナル(英国)のSS関連の記事をまとめた特集が、こちらのサイトにも掲載されています。

 

http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100125/erp1001250811002-n1.htm

 

英国・オブザーバー紙の紙面

 

 ぜひ、ご覧になってみてください

 

 

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キューバ革命の英雄チェ・ゲバラは、旧東ドイツの女スパイとチェコに潜伏していた@チェコ紙スクープ ニュース記事に関連したブログ

2010/01/25 11:00

 

 チェコの有力紙ムラダー・フロンタ・ドネスが22日、特ダネを報じました。その記事を世界のメディアが後追いしました。

 

 Che Guevara se skrýval s milenkou v domě u Prahy.

 

 チェ・ゲバラが、プラハに近い住居で、恋人をかくまっていた。

 

http://zpravy.idnes.cz/che-guevara-se-skryval-s-milenkou-v-dome-u-prahy-vypatrali-jsme-kde-10w-/domaci.asp?c=A100121_171835_domaci_pei

 

 外国人として唯一キューバ革命軍に入ったアルゼンチン人医師、チェ・ゲバラは政府軍との激しい戦闘を繰り広げ、1959年に、フィデル・カストロとともに、キューバ革命を成し遂げました。

 

 

 ゲバラは革命後、カストロ政権の主要閣僚としてキューバ国政を担いましたが、「圧政に苦しむ世界の人々を救いたい」として、カストロに別れの手紙を書き、その後、アフリカ・コンゴへと渡って、ゲリラ戦線に加わりました。

 

 しかし、持病の喘息に苦しめられ、1966年に一時帰国。その後、南米ボリビアに渡り、ふたたび、レジスタンスの戦いに身を投じましたが、翌年67年10月、政府軍に捕らえられ、処刑されたのです。

 

 その後、反骨のカリスマとして、全世界にその名前が知れ渡ったのはご存じの通り。拙ブログでも何度か、ゲバラの話題を取り上げました

 

『チェ・ゲバラ28歳の革命』

http://sasakima.iza.ne.jp/blog/entry/973423/

『ゲバラはなぜ人気があるのか』

http://sasakima.iza.ne.jp/blog/entry/890707/

 

 

 ドネス紙が伝えたチェ・ゲバラのチェコ潜伏ですが、この事実は、すでに数々の記録から知られていました。

 

 ゲバラは、コンゴからキューバに向かう際、チェコに立ち寄り、モスクワ経由で帰国したのです。しかし、チェコでどのように暮らしていたかは判然としていませんでした。

 

 ドネス紙は公文書館に残る記録や、当時を知る人々の証言をえて、ゲバラの滞在がどのようなものだったか、光を当てたのです。

 

 同紙によれば、ゲバラが滞在していたのは、チェコ・プラハ近郊のラドヴィ(Ladvi)という小さな村。コンゴで、ソ連製の劣悪な薬のせいで、「死にかけた」というゲバラは、喘息の療養のために、この村を訪れたようです。

 

 ゲバラは、トレードマークの髭を剃り、髪を切り、本人と見分けが付かないような変装をしていました。諜報機関のチェコスロバキア内務省がゲバラの行動を監視していて、この滞在はトップシークレットにされていました。

 

 滞在した住居を探し当てたドネス紙の記者は、当時を知る地元の人から「キューバの人が住んでいたのを今でも覚えている」との証言を得ています。

 

 チェコでの生活には、チェはある女性を連れ添っていました。

 

 東ドイツ生まれのタマーラ・ブンケという謎の女性です。美しい容貌ですが、写真をみると、心の強そうな眼差しをしていますね。

 

http://i.idnes.cz/10/013/gal/JB309e5a_Tamara.jpg

 

 彼女は「ターニャ」と呼ばれており、偽の名前と偽のパスポート、ビザを与えられ、ゲバラの元に寄り添っていました。

 

 彼女は諜報機関の訓練を受けていたとされる女性エージェントで、ドネス紙は「ゲバラの恋人だった」と報じています。

 

 ターニャ以外にも、数人の仲間と共に、ひっそりとした暮らしを送っていたようです。

 

 外出することはまれでしたが、ゲバラは温泉に行くのが好きで、ときどきレストランにも出向いていたようですね。

 

 彼が、チェコの印象を友人に語った言葉を同紙は伝えています。

 

 「ここでは何もかもどんよりしていて灰色で活気がない。これは社会主義ではない。失敗作だ」

 

 1968年には、「人の顔をした社会主義」で、国を改革しようとしたドプチェク氏が共産党第一書記に就任し、そのことがプラハの春が起きる要因となるのですが、ゲバラがチェコにいたころは、まだ党中央の締め付けが厳しく、人々は覇気を失っていたのです。

 

 クレムリンに楯突く民衆のうねりは、ゲバラがチェコを去ってから起こるのです。

 

 

 ゲバラは1966年7月19日、ウルグアイ人になりすまし、チェコを後にしました。

 

 ターニャはその後、どうなったか、同紙は伝えていません。また、どうしてゲバラに寄り添っていたのかも、わかりません。

 

 反骨のカリスマをも虜にした女スパイの生涯がどう閉じたのか、非常に関心があります。チェコ諜報機関の記録に残っているようです。

 

 ゲバラはその1年後、ボリビア政府軍に捕らえられ、銃殺されるのです。チェコはゲバラにとって、最後の欧州滞在地になったのです。

 

 ドネス紙の取材に対し、同国の歴史家は、公文書館に残るこうした記録は「関連性がある」として、信憑性が高いものであることを証言しています。

 

 ゲバラの生涯については、これまで、数々の名監督が映画作品に残していますが、今後、コンゴからチェコに続く時期の記録がさらに明らかになれば、アフリカ・欧州篇も製作される可能性もあるかもしれません

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